【過去のテキストへのコメント】 EPCOT NET No,32 【 第1回 】 『なぜバブルプラニングは難しいか?』(A氏への手紙) 2003年2月
建築計画という学問、私は好きです。受験生時代は、医学部に入って精神科医になりたいと思って、けっこう最後まで天秤に載せていたくらいで、人が何をどう考えるかということに対する興味は今でも強いですね。建築計画という学問は、根本的にはそういうことを扱う分野のだと思っています。大学には入って驚いたのは、建築心理学、というような名称の科目も、研究室もなかったことで、あったら、絶対にそっちの方向に進んでいたでしょう。建築史に進んだのは、歴史を通して、人が何を考えて、どう作るかということを考えられると思ったから。
それはさておき、不勉強な私は、建築計画は理論として成立していて、それに則って行けば、サクサクと建築空間ができていくもの、というようなイメージを抱いていました。設計課題に取り組むときも、建築計画の理論をいちおう学んでみたのですが、どうもうまく行かない。バブルってやつも、泡をぶくぶくと描いてはみたけれど、それが、どうしても建築空間に結びついてくれない。当時はまだ、理論が適用できる世界だと思っていたのですが、理論が使えないのは、自分に問題があると思っていました。
それを解決してくれたのが、このテキストに書いたような、分析手法とデザイン手法の分離という単純な観点です。この観点にようやく行き着いたときは、なんて頭悪いんだろう、と思いました。
形態づくりというのは、ある程度のマナーというか礼儀作法というようなものはあっても、個人の思考、思い、主義主張、好き嫌いなどが基本にあると思います。そこには理論はない……。
ところが、設計は、客観的な建築計画的な側面(もちろん構造、構法、設備、環境なども)と、主観的な形態づくりを「並行させる」必要があります。一部の才能豊かな人たちには、そういう悩みはないのかもしれませんが、凡人は、客観的な側面を押さえることに徹して、つまらない形をつくってしまうか、あるいは、主観をばりばりと前面に押し出して、住みにくい家、使いにくい建物を造ってから理論武装をするか、どっちかです。このことは、町を歩けばよく分かりますよね。
で、上には「並行する」と書きましたが、現実的には、並行は困難。だから、設計を進めながら、主観フェーズと客観フェーズを、交互にもってきて、相互にフィードバックかけてやればよいだけのことです。
ところが、すぐれたCADとかBIMを使えば、デザイン作業と分析作業を完全分離させる必要はなくなります。本来の効率化というのは、こういうことを言うのでしょう。
※上で言う「デザイン」は、日常的に使われている、かなり皮相的な意味での「デザイン」です。
※今回の写真: 『桜』 (上:後楽園、下:半田山植物園←長男9才が撮影)