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【教育】逸脱できない学生たち

大学教員を辞した後、20年ほど専門学校でも非常勤講師を務めています。いわゆる学力とは直結しない分野を教えているので大学生と専門学校生の能力差は思ったほど大きくないというのが、5,6年前までの印象でした。

一方で世紀の極悪番組であった(と私は思っている)金八先生以来、児童や生徒のお友達に成り下がる教員たちが激増して運悪くそういう教員に当たったであろう学生が大学でも専門学校でも増えていて、とても困ったことだと思っていました。ところがこの数年は教員はお友達だと勘違いしているような学生は減少しているような気がします。それはそれでありがたいですが、反面、教員の言うことを四角四面に受け入れるだけの学生が多数派を占めるようになっています。

私の分野は「上手に逸脱すること」が非常に重要なのですが、彼らは「逸脱しないこと」に対して命がけです。上手な逸脱へ誘導するために設けている課題中の自由度は、彼らにとっては困惑の要因にしかならないようです。たとえば、課題中の自由度に気づく学生が少なくなかった頃は「~~してもいいですか?」という形の質問の方が多かったですが、数年前からは「~~しなければいけませんか?」という形の質問ばかりです。(そもそも「してよいか、だめか」というような質問をすること自体が困ったことですが、良くも悪くもほぼ全員が「いい子ちゃん」になり果てている世代なので諦めています。)

私が担当しているのはCADの授業で、5,6年前からYouTubeで公開した自作動画を手本として練習する形に変えました。動画は操作の手順や考え方を示しているだけなので、結果としてどんな姿形になってもかまわないのですが、学生たちは動画の中の形や寸法を必死で追いかけて、そのまま作ろうとします。そのようなやり方をすると手順や考え方の把握が二の次になるので、応用が利きません。「この動画で示した方法を使って、何かを作れ」という課題を提示したら、動画と全く同じものを何度でも繰り返し作るわけです。彼らの様子を見ていると、課題を誤解釈してそうしているのではなく、そうすること(逸脱しないこと)が習性になっているようです。これは彼らの能力や資質というより、小中学校、あるいは高校の教育に問題があるのではないかと疑っています。

「逸脱しない作業」はコンピュータが得意とし、現時点においてすでに人間が太刀打ちできない作業であり、さらには10~20年後にはAI技術が「ある程度上手な逸脱」を行うようになるだろうから、「逸脱できない」人間は仕事を失います。だからこそ逸脱のための自由度を設け、逸脱への誘導を試みてしているわけですが、三つ子の魂百までという通り、専門学校や大学では手遅れであろうと嘆いています。

一方で彼らが平気で逸脱するのは、提出期限のような自由度が無い対象ばかりです。トホホです。

カテゴリー:教育
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