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【教育】 ありがとうハザードと情報教育

ずいぶん前から、「ありがとうハザード」という浅はかな行為が蔓延していますね。割り込むための免罪符として使う人もいます。「ありがとう」と言えば、他人を危険にさらしてもよいのでしょうか。

ありがとうハザードは法律的には違法ではないらしいので、浅はかな行為だと言ったら怒る人がたくさんいそうです。

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私は、自分が譲ったときにありがとうハザードをされると譲ったことを後悔します。なぜなら、ありがとうハザードをするということは、その運転手には自分が出す情報の意味を考える力が欠如していると捉えるからです。経験的には、ありがとうハザードを出す人は、出さない人と比べると、他者に対する情報提供が下手であるという印象を持っています。たとえば、突如スピードを落として急にウィンカーを出して後続車に回避行動をさせるなど。

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話が飛びますが、ハザードランプのスイッチを、運転中に押しやすい位置にレイアウトするデザイナーもペケだと思います。

現在の私の車は、A/Cスイッチのすぐ下、内気循環と外気取り入れの切り替えスイッチの上にあり、ブラインドタッチした場合の手触りと形状が似ているので、たま~に間違えて、ハザードを点滅させて回りの人に迷惑をかけてしまいますが、私のとは異なる車種でも「なぜ、いまハザード?」と不思議になるような出し方をする人がいますが、これも多分スイッチの押し間違えでしょう。

この場合、間違えたユーザーが悪いのではなく、このようなヒューマンエラーを想定していないデザインがダメです。以前乗っていた車のひとつは、ハンドルの輪っかの中に手を突っ込んでグイっと押さないとスイッチが入らなかったので、気楽にほいっと押せるものではありませんでした。だから他のスイッチと間違えることはありませんでした。

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話を本題に戻すと、道路交通法に示されたハザードランプの使い方を見れば、自分の状況を公的に伝えることが目的であることが分かります。

一方、譲ってもらったときの挨拶は、当事者間だけで成り立てば十分です。

「後続の多くの車の運転者たちが、自分のハザード点灯をどのように解釈するだろうか?」と考えれば、ありがとうハザードの無意味さとリスクは簡単に理解できると思います。

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このような、公的な情報提供手段と当事者個人間の情報交換手段の混同は、SNSにおいても見られます。今の情報教育は、コンピュータやインターネットの中の情報に閉ざしていますが、上記のようなことも情報教育における重要な視点です。

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脇道から前に割り込んできた車が、ハザードランプのスイッチを押す操作のために目の前で蛇行したり、減速したりするのは、本当に危ないし迷惑です。前に入ったら、まずは、流れにスムーズに乗ることを最優先させるのが正しいお礼の仕方です。直接譲ってくれた車は一台だけですが、それに続く車たちも速度を落とすとか、数秒待つなどのサービスをしてくれているわけですから、感謝すべき相手は直接譲ってくれた一台だけではありません。自分にとってありがたい状況を生み出してくれた全員への感謝が必要であり、そのためにこそ、場を乱さないこと、つまり、運転中であれば流れを素早く元の状態に戻すために自分が尽力することを優先させるのがマナーであるはずです。

だから、ありがとうハザードは短絡的かつ不十分なお礼です。

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ついでに言うと、譲ったときなどに会釈をする運転手も怖いです。会釈するとき視線が下に行きます。これは前方不注意の状態に陥っていることを意味します。狭い道でのすれ違い時に会釈する人には、車をすられるのではないかと怖くてしょうがないです。会釈も無用です。

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場全体としての安全を図るためには、運転手が体を動かして行う感謝の行為は無用だと考えるのがよいと思います。

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