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【教育】 日本人が書いた英文が載る英語教科書への違和感

高校生の娘の英文読解の予習を手伝っていたときのことです。

大変に読みにくい英文である反面、日本語らしい日本語に訳すのとてもが楽で、違和感がありました。「もしかしたら、この英文は、日本人が書いたものではないかな?」と娘に聞いたらその通りで、最初から読んでみたら、冒頭にアメリカに留学した日本人が書いたことが示されていました。

大人になってから英語圏での生活を始めた日本人が書いた英文だったことから、発想や展開が日本人的で、英文としては読みにくい一方で日本語化は容易だったのだろうと思います。面白い現象でした。

この教科書には、その他にも日本人が書いたと思われる英文が出ています。いずれも違和感がある英文です。教科書にありがちな個人の生き方とそれがもたらす人生訓のような文章なので、その内容を学ぶこと自体は教育的であるでしょう。しかし、英語の学習に適しているとは思えません。この英文を読めるようになっても、応用がきかないでしょう。

このような文章を選んだ背景には著作権の絡みがあったのかもしれませんが、英語は英語として学ばないと文化を理解できません。言うまでもなく、言語の理解は文化の理解です。

*

追記

大学院時代に、専門的な文書の和文英訳の依頼を受けたことが何度かあります。あるときはイギリスで開催される展覧会で使う資料の翻訳だったので、一通り英訳した後で友人のイギリス人(ケンブリッジ大学卒)に添削してもらいました。自分でも不自然な箇所が多いことは承知の上でしたが、案の定、友人から返された原稿には山ほど朱が入れられていたので「あぁ、まだまだダメだなぁ」とぼやいたら、友人は「そんなことないよ、(書いてあることが)全部分かったよ」と答えました。この言葉にさらに落ち込む私を見て彼が言ったのは「(私の翻訳は)英語になっている。日本人が書いた英語は英語になっていないことが多いよ」。最初の言葉は、友人としては褒め言葉だったみたいです。

そして、友人の添削は「そうそう、英語でこう表現したかったんだ!」と嬉しくなる指摘ばかりで、最終的に英語の書物で目にするような自然な英文になりました。こういうプロセスによって、英語を使う人たちの考え方をより深く知ることができたと思います。

だからこそ、上に書いたような和製英語を英語の教材にするのはよろしくないと思うわけです。

 

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カテゴリー:教育
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