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【教育】 いまだに、手書きかCADかという愚問が?

ときどき「手書き CAD」という検索キーワードでこのブログに到達する人がいます。

実務の人がこういう愚問を思いつくはずはないから、「手書きかCADか?」という疑問はおそらく教育現場(教員や学生)から出てくるのだろうと推測しています。

手書きかCADか?という問いがいかに愚かな問いであるかについては、このブログだったかどうか忘れたが、すでに書いた記憶があります。それはさておき、課題を切り分ければこのような愚問は出てこないと思います。

(追記 2018/8/1)こういう問いに対して、20年以上前、せめて10年前に答を出せていなかったら、もうそこは時代遅れの教育機関なのか教員たちが無思考なのか、そこには複数の理由が絡み合っているのだろうが、いずれにしても好ましい状況ではないでしょう。強いて言えば現時点においては「CADソフトかBIMソフトか」と問うて欲しいですが、予算などの制約でBIMソフトを動かせる環境を構築できない場合(※)を除いては「BIMソフトに決まっている」が答です。CADを概念的に理解できている人は、言われるまでもなくベンダーが「CAD」ではなく「BIM」と銘打ったソフトを選ぶでしょう。

(※)10年以上前から教育機関に対して一部のBIMソフトが無償提供されているから「ソフトが高い」という言い訳は通用しません。ただし、一定以上のスペックのPCを要求するBIMに対応できるPCを準備できないケースはやむをえませんね。

さて、切り分けとは、道具の使い方の教育と、設計の教育は別であるという認識です。

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手書きで製図できる能力は、現時点では建築士試験の実技で必須なので当然身につけた方がよいでしょう。

また、CADで製図できる能力は、実務では必須です。

つまり、製図能力については手書き、CADを問わず必要であるのが現状であるので、教育機関では「どちらも教える/学ぶ必要がある」と考えるのが自然です。

そして、手書き製図とCAD製図のどちらを先に教えれば/学べばよいかについての議論は無意味です。最終的にどちらも必要だから、どちらが先でもかまいません。

もう20数年前のことだが、かつての職場で、ある教員が学生に向かって「CADを使って横着をしてはいけない」と言い放った。 その教員の発言は「手書き製図がもたらす肉体的苦痛や疲労を経験しなければまともな設計にならない」というような含みを持っていたように思います。

たしかに手できれいな線が引けると、スポーツで何か上手くいったときのような喜びがある反面、CADからプロッタで出力した線は味気ないものです。しかし、その線がもたらす情報は、手書きであってもCADであっても同じです。製図ペンより烏口の方がきれいな線が引けるかもしれませんが、結果として「きれいさ以外の点で同じ図面(=第三者に同等の情報を伝えることができる図面)」になるのであれば、手間がかからない道具がよいに決まっています。道具とはそういうものです。「CADを使って横着をしてはいけない」という人は、距離が離れた目的地に移動するときに「乗り物に乗るのは横着だ。けしからん!」と考えて全行程を歩き通すのでしょうか。世の中そんな人ばかりだったら、洗濯機も食洗機も普及しなかったでしょう。件の人は、新しい道具に対する恐れを表明しただけだと私は思います。

有名建築家の場合は手書きのスケッチや図面に値が付くことがありますが、私のような凡人建築士の場合は図面そのものが売れることはありません。生活の糧となるのは、図面という媒体で表現された設計です。だからどんな道具を使ったとしても、情報内容が整っている図面ができていれば十分です。

だから、製図能力を身につけるにおいて「手書きかCADか?」という問いは愚問です。

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一方、「手書きかCADか?」という問いを「設計」に関して発するのは無意味ではありません。

CADが珍しかった時代は別として、当たり前のように使われている今、設計能力と製図能力の間にほとんど相関性がないことは、おそらく多くの建築系の指導者は分かっているはずです。だからこそ、設計演習課題においては仕上げ方を強制すべきではないと思います。

私が経験的に思うのは、設計はBIMソフトで教えるべきだということです。7~8年前頃からベンダーが「BIM」という呼び方で差別化を図り始めましたが、それより前の3D-CAD や2Dだけの製図CADでは設計は教えられません。ダメな道具を使うのは時間と労力の無駄遣いでなので、ぜひやめましょう。

とはいえ、日本においては知っておいた方がよいJW_CADを用いた製図法を教えるのは良いことです。レイヤ、線種、線色を使い分けることを通して、情報を整理する姿勢が身につくことを期待するからです。しかし、それで設計教育を行うのはやめた方がよいです。

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鉛筆をもった手を何となく動かしているときに、ふっと出てくるアイディアがあります。絵が下手な私でさえ、そういうものの価値と可能性を肯定しています。CADに限らずソフトというものは、そもそも合目的的なものであるから脱線しにくいです。だからCADしか使えないのは困りものです。私はあちこちで同じようなことを繰り返して述べていますが、IT化社会においてはITを操る力に加えて道具を柔軟に選択する姿勢が重要であり、可能ならば学生時代に身につけさせてやりたい姿勢だと考えています。

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では、プレゼンテーションされた内容においてはどうなのでしょう?

プレゼンテーションにおけるCADと手書きの相違は、鉛筆や製図ペンなどの表現道具の相異、あるいは、断面を塗りつぶす・影を描くなど表現手法の相違でしかありません。プレゼンテーションにおいては、CADか手書きか?などと議論するのはナンセンスで、場合によって適切な道具と表現手法を選べば良いだけです。CADという道具の出現によって選択肢が広がった一方で、CADがもつ簡便さゆえに、道具の選択における適切な判断が難しくなってきたように見受けられます。

いずれにしても、設計教育の中で、実務で必要とされる「設計図書」作成を学ぶことは必要だが、「設計図書」に含まれないもの、たとえばパース、模型のような3D表現については指定せず、学生たちの自由奔放さに委ねることが望ましいと思います。

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以下の書籍は、上記に関連する基本的な考え方を知るための良書です。画像をクリックするとアマゾンに飛びますが、古い本なので現時点で手に入るかどうかは分かりません。

 

この本はCADとも手書きとも関係の無い設計行為そのものについての、過去への反省と今後とるべき姿勢を示した著作だと位置づけられます(翻訳もあります。誤訳悪訳は少なく翻訳者の一方的思い込みによる解釈ミスもありません。誤訳が散見されましたが、そのままでも問題ないような箇所です)。なお、翻訳の書名は『建築の形態言語』とされていますが、原題を直訳すると『建築の論理』です。具体的な内容からは確かに「形態言語」と訳してよいし、その方が内容のイメージが伝わりやすいですが、本書の存在意義から言えば「論理」と大上段に構えたままで良かったと思います。

 

 

この本は日本でのCAD普及の初期に著されたもので、建築・都市計画分野におけるコンピュータ利用の黎明期から関わってこられた渡辺仁史氏の監修です。表面的にはこの本が出版された時期の著名ソフトの使い方に見えますが、設計やデザインという視点から読めば「(自分たちは)CADを使って何をすべきか」が分かる、現在においても(もしかしたら混沌としている現在だからこそ)価値のある良書です。

 

 

(以下、2018/9/6追記)

上に記したように、CADは設計行為や思考の中で使ってこそ身につきます。これが前提であり、CADを学んだり教えたりするときに苦しむ矛盾です。上の2冊は、どちらもその矛盾がない立ち位置で著されています。

そして、最後に手前味噌ですが自著の一冊を紹介します。上の2冊とは異なる切り口で矛盾を除去した本です。

Vectorworksベストテクニック100表紙

この本は「設計方法」や「思考」の部分を削ぎ落として「スキル」に徹底しています。多くのCADの練習本は「CAD操作の練習」というよりむしろ「CADを使った設計の進め方」と言うべき内容であり、「著者の設計方法におけるCADの使い方」が色濃く反映されていてます。つまり、著者の設計の仕方のCADによる模倣に近いのです。私も実はそういう本を書いてみたいのですが、「CAD学習として見たら、それは何か違うのではないかなぁ」とずっと思っていました。そして、10年前、新庄宗昭氏との共著『CADリテラシー演習』(株式会社エーアンドエー)が出版されました。

『CADリテラシー演習』という書名から、新庄氏と私が込めた思いが分かってもらえると思いますが、この本はVectorworks教育支援制度であるOASISの加盟校のみが購入できるので(つまり上記のような考え方を広く知ってもらうことが困難なので)、やや物足りない気持ちが残っていました。この本が出た年にVectorworks教育シンポジウムの第1回が開催され、私はそこでCAD教育のテーマで講演しました。講演には教科書のあり方に関する内容も含めました。そのとき名刺を頂戴した編集者さんから、昨春、『VECTORWORKS ベストテクニック 100』の企画を頂戴し、快諾した次第です。

「設計方法」や「思考」を削ぎ落としたら表面的な操作しか残りませんが、多くの場合、CAD操作に迷う人が求めているのは表面的な操作であって、その操作が関わる設計方法も思考も求められないようです。だからこそ内容をスキルに徹底することによって、読者自身のオリジナルの設計方法や思考の中にCADを採り入れることが可能になるわけです、、、、そのうち、あらためてこういうことをまとめたいと思っているので、尻切れトンボですが今はここで打ち止めにします。

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もし、いまこの一文を読んでいるあなたが教員だったら「CADか手書きか」などという下らない問いは即座に捨ててください。そして、あなたの頭の中でソフトのスキルと設計方法や思考を完全に切り離した上で、「BIMソフトをうまく使った設計方法」を指導してあげてください。そうすれば、日本の建物のボトムラインと偏差値が向上するはずです。

もし、いまこの一文を読んでいるあなたが学生だったら、この一文を読んでしまったという点で残念ながらあなたは天才ではありませんが、秀才、あるいは、上級凡才にはなれます。だからBIMソフトを使える幸運な時代に建築を学べることに感謝しながら、手書き、BIMソフトともに鍛錬し、必要なときに適切な道具を選べるようになってください。そういうことを通して、あなたは日本の建物の偏差値を上げられる人材になります。日本に足りないのは、偏差値を上げるというスタンスで設計活動に携わる人材です。

ところで、建築設計において天才は不要です。マスコミが「天才」のラベルを貼れる人を求めているだけです。

カテゴリー: 教育
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