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【雑記】 『ゲド戦記』と『精霊の守り人』

長男が小学校に入学してしばらくした頃、ある年配の女性に、男の子の成長しかたの参考になるだろうからと、『ゲド戦記』を読むことを勧められた。

折良く(?)、3週間ほど入院する羽目になったので、『ゲド戦記』を全巻、読んでみた。ストーリーとしては面白かったが、登場する男性たちに違和感を感じた。後味が良くはなかった。第3巻は読むのが苦痛だった。

 

闘病中であったことに起因する心理的な作用があるのかもしれないと思ったので、退院してしばらく後に再び読んでみたが、印象は変わらなかった。このときは、第3巻は途中で放棄したのだが、そこで気づいたのが、『ゲド戦記』の著者は女性であるということだった。

登場する男性が、女性から見た、期待される男性像であり、ゲドの成長は女性にとっての理想的な男性の作られ方であると考えれば納得できるような気がした。このことが、それが違和感や後味の悪さの要因だったのだと思う。

男性が思う男性像ではないし、少年が思う少年の成長のしかたでもないという気がしたということである。(ハリー・ポッターは映画しか見ていないが、映画での印象は同様である。)

 

さて、長男が小学校4年のころ、クラス担任(女性)に上橋菜穂子の『精霊の守り人』を勧められたといって、読み始めた。「面白いので、お父さんも読んで欲しい」と言うので、読んでみた。

主人公の未婚の女性が、第2の主人公である成長期の男の子を見守るというストーリーだ。

不幸な出来事で少女時代以来、まるで男性のように育った荒々しい女主人公が、第2の主人公の少年の母親のような存在に変わっていく。これは素直に読めた。作者は女性であり、女性らしいとは言い難かった主人公がが母親のようになっていくプロセスを書いているような気がしたので、異性の眼から共感できない部分や分からない部分はあったが、十分に納得できた。

第2の主人公の少年については、変化は感じられたが、成長は感じられなかった。やはり異性を描くことには限界があるのだろうと思った。(そのことと、小説の良し悪しは全く無関係。)

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カテゴリー:雑記
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