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【雑記】 STAP細胞の一件で思ったこと

珍しい名字がニュースのトップを賑わせている今日この頃、、、。

私は修士論文の審査がきっかけとなって、ある大学を辞職したことがある。

O氏の博士論文に、盗用や剽窃の疑いがあるとのことで、論文審査のあり方に対してもあれこれ見解が飛び交っている。盗用や剽窃が事実であったとしたら、当該論文の審査がどうであったかということは、やはり大きな問題であると思う。問題というより、今後の課題といった方が適切かも知れない。

 

さて、そのころ私は助教授を務めていたが、あと1~2年で教授になれ、もう1年在職すればサバティカルの権利を得ることもできるだろうという、世間的にはとてももったいないタイミングで辞職した。

 

あるとき社会人として起業していた学生が書いた修士論文の副査を、指導教員から直々に指名されて務めることになった。しかしその論文は、ぶっちゃけて言えば、彼の業務日報プラス会社の宣伝のような内容であった。(彼自身は悪い人物ではないし、ある分野において優れた能力をもっていると私は認めていたが、学問する人間としては、入学前から疑問を呈していた。私は彼の入試時には大学院担当ではなかったが、彼の受験を知ったとき親しい同僚には彼には研究は無理ではないかと話した記憶がある)。

彼が提出したものは、論文としての出来を云々する以前に、論文と呼べるものではなかった。しかし、不合格にして留年したら、まもなく30才になろうという彼の生活に影響を及ぼすことも分かっていた。そこで、やむをえず、主査にこのままでは不合格にせざるを得ないので、審査会までの数日間に可能なかぎり書き直すよう指導してほしいと伝えた。(提出から審査会までの間での修正は、おそらくどこの大学院でも許されていると思う。もっとも、本来は、体裁や誤記の訂正が主体で、ほとんどゼロから書き直すことは該当しない。彼の論文はほとんどゼロからの書き直しが必要であった。)

主査は彼の指導教員でもあったが、私の指摘は、指導教員の指導が不十分であったことを露見させるものだったから、当然のごとく不服そうな顔をしていたが、何とかしてみるという返答だったので安心した。

しかし、数日後の論文審査会までに修正論文は提出されなかった。審査会では当然の成り行きとして、主査は合格、副査の私は不合格とした。

上記のように、彼が生活に困るかもしれないことは知っていたが、だからといって、その論文を認めることは、大学自体の価値を下げてしまうことになるし、きちんと論文を書いた他の学生たちとの公平性という意味でも好ましくないので、私は彼に対する個人的な感情は捨て、かっこよく言えば、研究に対する倫理観をもって不合格と判断したのだった。

 

論文審査会では、私に賛同する見解を述べてくれた教員が一人だけいたが、「主査の判断>副査の判断」なので論文は合格となった。この論文審査会での一件は、私が辞職を決意する引き金となった。

今となっては笑い話だが、審査会の後、同僚の一人が「堂々と正論を述べたのはかっこよかった」と彼なりのフォローをしてくれた。励ましのつもりであったのだろうし、彼自身は好人物ではあったのだが、こういうタイミングで言うべき言葉ではないと呆れた。

自分の生活面での問題とか、担当している学生、学内で動かしているプロジェクト、複数の解決すべき課題があったので、結果として上記の一件の2年後に辞職した。辞職直前の教授会でも虚しい出来事が起きたが、それはまた別に書くかもしれない。

さてこの話には後日談がある。

私が退職した後、私より1年早く辞職していた教員から驚くべき情報を知らされた。

その情報とは、

審査会前日に、主査の学科で懇親会が開かれたそうである。学科が違うので私はもちろん出席していないが、その場で、主査が「(副査の私が)不合格だと言っているが、自分には彼を指導できないので、合格としたい。このまま黙っていてくれ」というような内容のことを言ったそうだ。

情報提供者は1才年長で、親しくつきあえる数少ない同僚だったが、彼自身も、組織のあり方に辟易していたらしい。件の論文審査会の時点では、その翌春辞職することを決めていたそうで、だから、懇親会で「大の大人がピーピーと泣きながら言うので、面倒くさくなって認めてしまった」そうだ。

このピーピー事件のことを当時の私が知って何らかのアクションを起こしたとしても、政治力の点で完敗しただろうことは明白である。しかし、彼のメールを読んで、主査と彼を取り巻く人々の人物像を思い出すと、起きるべき事が起きただけだんだなぁと自分がとった行動に対する虚しさが倍増した。

そんな訳で、上記のたったひとつの事例から一般論を述べることは無理だが、一般に言われるのと同じく、肩書き、経歴、そのようなものは政治力だけで掴める場合も多いわけで、世の中の論文すべてが研究として正当に審査されているわけではないということは、大学や研究機関の人間にとっては常識だと思う。

結局は、論文執筆者と査読者それぞれの倫理観といわれるような曖昧模糊とした何かがものを言うのだと思う。

以上は、フィクションです。そもそも匿名のブログに書いてあることを真に受けてはいけません。

 

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