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【過去のテキスト】 EPCOT NET No.33 【第2回】 『脱・近代とアクティビティ』 2003年3月

EPCOT NET は、生活産業研究所(株)のメールマガジンです。これは、No.33に掲載。

2005_0306_160144AA 前回、アクティビティというキーワードを持ち出した。今回は、もうちょっと深くアクティビティについて突っ込んでいこうと思う。理念の解釈と実行は困難だが、理念がつくった形態の模倣と展開はたやすい。”Form follows function.”という美しすぎるフレーズは、ユーザ本位ではない建物本位の建築を生み出してきたのではないか、と私は疑っているが、すでにできあがったものに云々してみてもつまらない。

思考レベルを記述する表現形式は前回記したようにダイヤグラム、バブルプランなどがあるが、行動レベルを記述するアクティビティの表現形式はなさそうである。いずれにしても、アクティビティから出発することは、現在求められているユーザ本位のデザインには不可欠の設計姿勢だと考えている。

サービス消費、あるいはプロセス消費の社会へ移行している現在、建築においてユーザ本位のデザインが求められていることは、サービスやプロセスを消費する状態への移行を顕著に示すものといえ、アクティビティを考えること=ユーザのニーズを追求すること、であるから、これからは、建築をつくる上での不可欠な発想であることは明らかだ。

「アクティビティ」。これを私は脱・近代の重要なキーワードだと考えている。

1980年代、ポストモダンという言葉がさかんに聞かれた。直訳すれば「近代の後」であるが、その頃近代は本当に終わっていたのだろうか。思潮あるいは理論的には、ヴェンチューリら、優れた建築論者、建築理論家によって1960年代から思考としての脱・近代は図られてきたようにも見えなくもないが脳化した状態はまさに近代であり、脱・近代のためには、肉体から出発する必要があるはずだ。

W.J.ミッチェルが『LogicofArchitecture』(1990年)の中で、建築形態あるいは平面構成を全く形態主義的に分析して見せた。分析に使用されたのは、述語論理、コンピュータ言語で言えばprologである。prologはAI言語(AI=ArtificialIntelligence=人工知能)と呼ばれる言語のひとつでありAI言語というキーワードは、一時期よく聞かれたが、その後あまり聞かれなくなっている。消え去ったか、あるいは、話題にも上らないほど定着したのかそれはどちらでもよい。いずれにしても、コンピュータが人間の心を解く学問を科学へと近づけたことは明白だろう。そして、コンピュータ発展の黎明期にはやがてはコンピュータが人間の心をもつことが自明のこととされていたような気がする。そういえば今年は鉄腕アトムの誕生年らしい。

建築においても、論理によって建築がくみ上げられることが考えられ、AI言語を使った平面形の発生などの研究も行われていたと記憶している。しかし、おそらくそれは成功していないだろう。

というのは、前回、バブルプラニングをネタに、分析手法と創造手法は異なるべきであると記したが、論理のもとにつくることは分析の発展であって創造ではありえない。

UFOの存在を議論するおもしろおかしいTV番組がある。私はUFOが存在しようとしまいとどうでもよいし、バラエティ番組に腹を立ててみてもしょうがないのだがUFO論者が、UFO否定論者の想像力を否定することだけは許容できない。UFO論者には、ピラミッドなど人類の輝かしい軌跡を、飛来した宇宙人のなせる技と考えている人もいるようだが、こういうとらえ方こそ、人類の持つすばらしい創造力を否定したものではなかろうか。そして、その存在に対して結論の出せない宇宙人を介在によって現在の人間が在ると説くことは、想像力の貧窮を露呈しているように思え、とても滑稽である。

それはさておき、ミッチェルに話を戻そう。

ある入力があり、それがある関数(=function)を通ることにより、何らかの出力がある。すべては、y=f(x)で記述できる。ミッチェルの方法を使えばたとえば、

ご飯=炊飯器(米、水)

という具合に書ける。考えてみれば、すべてのことがらが、この方程式で書けそうである。もちろん、fがいなかる関数か具体的に記述できないことがある。記述できないことの方が多いだろう。たとえば

恋=偶然(男、女、空間、時間)

では、何だか分かったような分からないような….それはどうでもよい。入力と出力と、関数(function)で世界が成り立っていること、functionは「機能」とも訳されること、これが最も重要だ。

2005_0306_163048AAというのは、”Form follows function.”(=形態は機能に従う)の”function”であるから。Mitchellは、近代の中で、意味や解釈が狭められてきたfunctionを、上記のようにy=f(x)の形に書くことによって、function、すなわち機能という言葉の持つ自由さを再認識させようとしたのではないか、と、不真面目な建築史研究者であった私は想う。

冒頭で、もうちょっと深くアクティビティについて突っ込んでいこうと思うと書いたが、ちょっと方向がずれてきた。しかし、次に引き合いに出すべきは<アフォーダンス>であることも見えてきた。

私は、アフォーダンスは、分析のための理論ではなく、創造のための理論であると考えている。というのは、アフォーダンスは思考から発するものではなく肉体(=存在)から発するものだからである。これからは、レゾンデートル(存在理由)でなく、エートル(存在)だけを考えればよいのだ。「理由」なんかなくてよい。もう哲学しなくてよい、とは言い切れないが、とにかくデザインするときにはどういう入力に対して、どんな出力があるかが重要であり、関数自体は何でもよいのだ。だからこそ、人生は豊かで楽しいのだ。

次回はアフォーダンスについても、ちょっと触れたいと思う。

※今回の写真 『きょうりゅう』 : 庭のクスノキの枝で制作。 上はプテラノドンのつもり(ただしくは恐竜ではなく翼竜)、下はパキケファロサウルス。

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