【過去のテキストへのコメント】 CADは建築の将来を拓く — ただし教育が正しければ! 1999年12月
下の投稿は、 北海道東海大学(現・東海大学)で教えていたときに、電子計算機室の機関誌”Packet”の23号に執筆したもの。1999年12月発行だから、もう10年近く前です。十年一昔と言われますが、、PCの環境は十年一昔なんてノンキなことは言ってられません。この10年で、PCもCADも大きく変化しました。当時は不可能だったことがどんどんできるようになってきていて、建築をデザインするプロセスでできることが飛躍的に増えました。こういうのは、まじめに設計しようと思ったら、とてもありがたい(はず)と思うわけですが、みなさん、どうなんでしょ?たしかにこの10年で日常的に手にするモノや、身の回りの環境は大きく変わったと言えますけど、概念は、十年一昔というようなハイスピードでは動きません。現状打破をしようとしている人たちをたくさん知っていますが、全般的に、建築教育のコンセプトは旧態依然だと感じます。
「ただし教育が正しければ!」
と、しつこいまでに書いてますが、誤っているとまでは言えずとも、正しくはないという認識は正しいでしょう。冒頭に書いた;
「CADを教えなければならないという思いと焦りはおそらくほとんどの建築系学科に共週しているだろう。」
は、これは10年近くたった今でも変わっていないし、BIMが出てきたので、今後、さらに悪化していく恐れがあります。 いずれにしても、これを書いた当時は、私自身はCAD教育に対する確固たる方向性をつかんでいたので、全く悩みはありませんでした。その方向性は、今でも正しいと思っています。しかし、実現するには、組織ぐるみで動かないと達成できないし、もしかしたら、教育スタッフの再教育あるいは入れ替えが要求されます。だから、なっかなか、動かないし、今後しばらくは、正しくない状況が継続する可能性が非常に高いです。私は旧職場においては、そこの「もどかしさ」や「いらだち」に堪えるのが苦痛でしたね。それから、こういう考えに至るは、当時の同僚の渡辺宏二講師(現・准教授)との会話が大いに役立ちました。いまさらながら、お礼を;「ありがとうございました!」